午後のひと時
2007年 06月 12日
近所に住むクリスチャンの姉妹4人が
午後のひと時、聖書をともに分かち合うため集まりました。
聖歌(賛美歌)を歌い、お祈りをし、その後聖書の同じ箇所を時間を決めそれぞれ黙読し
その中から、神さまが自分にどういう風に語ってくださったか
また、以前にこんな風に導かれたのはこういうことだったのだ、とか
素直に語り合う、というもの。
どの集会も賛美の得意な人、話すのが上手な人とかがいて
持ち時間が,限られた人になってしまうことがあるのですが
この4人(限定したわけではなく、誰でも参加できるのですが・・)
賛美をリードできる賜物を持っている人はなく
素晴らしく上手に司会進行する人もいなくて
何だか素朴で微笑ましい集会でした。
今日は第Ⅰコリント1章
同じところを読んでも、心に止まる箇所はもちろん違うのですが
おなじみ言葉であっても、神さまからのメッセージは全然違うものであったり・・・
わたしの心にとどまった箇所は
しかし神は、知恵あるものをはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。
すなわち、有るものをない者のようにするため、
無に等しいものを選ばれたのです。
これは、神のみ前でだれをも誇らせないためです。
まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
27~31
この箇所がどのように、わたしに語られたかはここでは書きませんが
みんな本当に正直に素直に心の中を話すことができ
なんとも麗しい、恵みに溢れた午後のひと時でした。
前日も、同じ信仰を持つ義姉と心のうちを語り合い、祈りあいました。
心の中が空っぽで、ふんわりした喜びに満たされています。
何がどう、ということはないのですが、これが神さまの恵みなのでしょう。
* * * *
今年もざくろの花が咲きはじめました
大きな木になりました
毎年6月になると花が咲き、花が終ると実がなり、その実を乾燥させて染料に使う
変らぬ繰り返し・・・
午後のひと時、聖書をともに分かち合うため集まりました。
聖歌(賛美歌)を歌い、お祈りをし、その後聖書の同じ箇所を時間を決めそれぞれ黙読し
その中から、神さまが自分にどういう風に語ってくださったか
また、以前にこんな風に導かれたのはこういうことだったのだ、とか
素直に語り合う、というもの。
どの集会も賛美の得意な人、話すのが上手な人とかがいて
持ち時間が,限られた人になってしまうことがあるのですが
この4人(限定したわけではなく、誰でも参加できるのですが・・)
賛美をリードできる賜物を持っている人はなく
素晴らしく上手に司会進行する人もいなくて
何だか素朴で微笑ましい集会でした。
今日は第Ⅰコリント1章
同じところを読んでも、心に止まる箇所はもちろん違うのですが
おなじみ言葉であっても、神さまからのメッセージは全然違うものであったり・・・
わたしの心にとどまった箇所は
しかし神は、知恵あるものをはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。
すなわち、有るものをない者のようにするため、
無に等しいものを選ばれたのです。
これは、神のみ前でだれをも誇らせないためです。
まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
27~31
この箇所がどのように、わたしに語られたかはここでは書きませんが
みんな本当に正直に素直に心の中を話すことができ
なんとも麗しい、恵みに溢れた午後のひと時でした。
前日も、同じ信仰を持つ義姉と心のうちを語り合い、祈りあいました。
心の中が空っぽで、ふんわりした喜びに満たされています。
何がどう、ということはないのですが、これが神さまの恵みなのでしょう。
* * * *
今年もざくろの花が咲きはじめました
大きな木になりました
毎年6月になると花が咲き、花が終ると実がなり、その実を乾燥させて染料に使う
変らぬ繰り返し・・・
by mariko0204
| 2007-06-12 22:16
| 恵み