恵みの中で…


by mariko0204

カインとアベルのささげもの

             

創世記4章(日曜日の礼拝説教を通して)

アダムとエバに生まれた長子カインと、弟アベルが
神さまにささげものをした。
農夫のカインは地の作物を、羊飼いのアベルは子羊の最上のものを。
神さまは弟アベルの物に目を留められ、カインの物は退けられたとある。

いままで何度も読んだし、説教にもあったと思うのだが
なぜアベルなのかわからなかった。
カインのどこがいけないのかよくわからなかった。

カインはアダムとエバから、たいそう期待され生まれてきたようだ。
対照的に、アベルはあまり喜ばれず、期待されていなかったらしい。
アベルとは、はかない者、むなしい、水蒸気・・・という意味があるそうだ。
ちなみに、カインとは獲物、所有という意味を持つらしい。
命名によっても息子への期待の差が感じられる。

そんな中で成長していったアベルは、自分の弱さや虚しさ
また、両親が神さまに背いた罪を知って
自分もまた罪人であることを知っていたのかもしれない。
そんな弟アベルのささげものは、罪の告白であり、犠牲であり、
感謝の現れであり、礼拝だったと説教で語られた。

一方カインは、両親からも特別に期待され、高慢になっていたようだ。

カインは悔い改めることをせず
自分が作った作物を、こんなにりっぱなものができたと
多分誇ってささげたのだろう。

どうして自分のささげ物を神さまが目に留められなかったか
振り返ることはせず、それどころか自分のささげたもののどこが悪い、と
ますます罪を犯してゆくのだった。



わたしたちクリスチャンの神さまへのささげものとは、礼拝であったり、奉仕であったり
聖書を読んだり、黙想する時間もささげものと言えるだろう。
わたしもささやかでも、心からのささげものをしたいと思っている。

でもそこにいつも小さな邪魔なものがあって
カインがそうであったように
神さまを真っ直ぐに見上げられず
うつむいてしまいたくなる時がある。

友人とのあいだに、長年わだかまりを持ったままでいる。
ゆるせない気持ちがあるのだ。
何度も主に背中を押されたが、従わなかったり、いつの間にかうやむやになったり。
時間が経てば解決するだろうと、ずるいことを考えたり。

示されたつど、神さまの前に悔い改めの祈りをするのだが
赦されたという確信が得られないでいる。
ここ何年間かその繰り返しだった。

カインの罪を通して、わたし自身の心の内と向き合うことができ
このままで主に良いささげものができるはずがない、と示され
友人と和解するよう導かれ・・・祈ってみた。

小心者のわたしは一大決心をして、今朝電話をしてみた。
わだかまりを持っていたのは向こうも同じだった。

明日出会って、何年ぶりかで話し合うことになった。

電話をしただけで、重荷が半分下りたような気がしている。
みことばに従ったという平安も。




            ******



  午後、ほんとうに久しぶりに青空が見えた。
   天気予報で乾きにくいと出ていた洗濯物もかわいたが
  夕方にはまた大雨。




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梅干も干せないし、今年は早くからやろうと思っていたドライトマトもできない。
by mariko0204 | 2009-07-27 22:31 | 恵み